日本書記における褌の記述



 日本の文献で褌の字がはじめて登場するのは「古事記」と「日本書紀」です。
しかも有名なイザナギノミコトとイザナミノミコトのお話なのです。
まずは日本書紀の記述を紹介しましょう。

      

日本書紀


 イザナギノミコトは、死んでしまった妻イザナミノミコトを追いかけて黄泉の国(よみのくに)にやって来ました。そこでイザナミノミコトと再会できたのですが、自分の姿を見ないようにと警告したイザナミの言うことを聞かずに、妻の変わり果てた恐ろしい姿を見てしまいます。イザナギは「自分はひどい所に来てしまった」といって逃げ出してしまいます。
怒ったイザナミは八人の冥界の鬼女を逃げるイザナギにけしかけます。何とか鬼女から逃れ、黄泉の国の出口まで来たイザナギにイザナミが追いついてきます。
そして、
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《原文》
時伊弉冊尊曰。愛也吾夫君、言如此者。吾当縊殺汝所治国民、日将千頭。伊弉諾尊、乃報之曰。愛也吾妹、言如此者。吾則当産日将千五百頭。因曰。自此莫過。即投其杖。是謂岐神也。又投其帯。是謂長道磐神。又投其衣。是謂煩神。又投其褌。是謂開齧神。又投其履。是謂道敷神。

《翻訳》
イザナミは言った「愛するわが夫よ。あなたがそう言うなら、私はあなたが治める国の民を一日千人絞め殺してやろう」と。答えてイザナギが言った。「愛するわが妻よ。あなたがそういうなら、私は一日千五百人ずつ生ませて見せよう」と。そして「これより入ってはならん」としてその杖を投げた。これを岐神(フナトノカミ)という。また、その帯を投げた。これを長道磐神(ナガチワカノカミ)という。そしてその衣を投げた。これを煩神(ワズライノカミ)という。また、その褌を投げた。これを開齧神(アキクイノカミ)といったまたその履(くつ)を投げた。これを道敷神(チシキノカミ)という。
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 これらの神のおかげで黄泉の国から脱出できたイザナギは、川で体を清めます。このとき生まれたのが有名なアマテラスオオミカミとツクヨミノミコトとスサノオノミコトの三神です。

なんと、イザナギノミコトの褌は彼の命を助け、日本の大神を生む手助けをしていたのです。
イザナギは次々と自分の身につけているものを脱いでいき、最後に履物を投げた時点でスッポンポンです。つまり黄泉の国の穢れが付いたものを全て脱ぎすてて、川で清めたことにより新たな生命力が生まれたということなのでしょう。
それにしても「開齧神」というのが褌の神様の名前です。どういう意味があるのでしょうね。

下図はボストン美術館所蔵のイザナギ・イザナミ像



      

古事記


 以上の逸話ですが「古事記」では少し違っています。
黄泉の国から脱出できたイザナギは改めて体を清めるのです。
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《訳文》
このようなわけで、イザナギが仰せられるには、「私はなんといやな穢い国に行っていたことだろう。だから、私は体を清める禊をしよう」
そこで、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原においでになって、禊ぎ祓えをなさった。
まず、投げ捨てた杖から成った神は、ツキタツフナトの神である。次に投げた御帯から成ったのは、ミチノナガチハの神である。次に投げ捨てた御袋から成ったのはトキハカシノ神である。また、投げ捨てた御衣から成ったのが、ワヅラヒノウシノ神であった。次に投げ捨てた御褌から成ったのはチマタノ神である。(以下略)
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日本書紀とは違って身につけていたものから神が生まれるのは黄泉の国から脱出したあとの禊の時です。
神の名前も違っています。
褌から成った「チマタノカミ」は漢字では「道俣神」です。これは褌の形からの連想と考えられ、そうだとすると当時の褌は越中に近いものだったのでしょうか。あるいか六尺の「みつ」の部分の連想からとも考えられますね。


      

雄略天皇


 「古事記」や「日本書紀」は想像以上に面白く、また下ネタや危うい話も多いので、読んだことがない人には一読を勧めたいのですが、褌に関してももう一つ興味深い話があります。
その話は「雄略天皇」の章にあります。
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《原文》 (注)■はPCで表記不可能な字です。
秋九月。木工猪名部真根以石為質、揮斧■材。終日■之、不誤傷刃。天皇遊詣其所。而怪問曰、恒不誤中石耶。真根答曰。竟不誤矣。乃喚集采女。使脱衣裙而著犢鼻、露所相撲。於是。真根暫停。仰視而■。不覚手誤傷刃。天皇因嘖譲曰。何処奴。不畏朕。用不貞心、妄輙答。仍付物部、使刑於野。爰有同伴巧者。歎惜真根、而作歌曰。
あたらしき ゐなべのたくみ かけしすみなは しがなけば たれかかけむよ あたらすみなは
天皇聞是歌、反生悔惜。喟然頽歎曰。幾失人哉。乃以赦使、乗於甲斐黒駒。馳、詣刑所。止而赦之。用解徽纒。復作歌曰。
ぬばたまの かひのくろこま くらきせば いのちしなまし かひのくろこま(あるふみに、「いのちしなまし」にかへて「いしかずあらまし」といふ)

《翻訳》
雄略天皇十二年の秋9月、工匠の猪名部真根(いなべのまね)が石を台にして斧で材を削っていた。終日削っても誤って斧を石の台にぶつけて刃をつぶす事はなかった。
天皇がそこへやって来て怪しんで問うた。「つねに間違って石にぶつける事はないのか?」
真根は答えて言った。「決して誤ってぶつける事はありません」
そこで天皇は采女(うねめ)を集めて、着物を脱がせて褌を締めさせ、皆の前で相撲をとらせた。真根は少し手を休め、それを横目で見ながら材を削った。しかし、相撲に気を取られた真根は誤って斧を台座の石にぶつけ斧を傷つけてしまった。天皇はそれを責めて言った。「どこの奴だ、朕(ちん)を恐れず。不貞の心の奴がみだりに軽々しい言葉を言って」
そして刑吏に渡し、野で処刑するよう命じた。そのとき真根の同僚の工匠が真根を惜しみ嘆き歌を詠った。
「あたらしき 伊名部の工匠 懸けし墨縄 其が無けば 誰か懸けむよ あたら墨縄」
(意味;「ああ、惜しむべき猪名部の工匠よ。彼の掛けた墨縄の技術は立派なものだった。彼がいなかったら、誰が彼の妙技を継ごうか、継ぐ者はないだろう」)
雄略天皇はこの歌を聞いて後悔し嘆いて言った。「うっかり尊い人材を失うところであった」
そしてすぐに赦免の使いを、甲斐の黒駒に乗せ刑場に走らせ、刑を取りやめさせた。そして縄を解き放ち歌を詠んで言った。
「ぬば玉の 甲斐の黒駒 鞍着せば 命死なまし 甲斐の黒駒」
(意味:「甲斐の黒駒に、もし鞍を置いていたら、手遅れになって、工匠は死んでいただろうなあ。甲斐の黒駒よ」)
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ここで「犢鼻」というのは褌の古い名称である「犢鼻褌」のことです。()
なんと、日本書紀には女性の褌姿、しかも女相撲が登場するのです。超一流の腕前の職人も煩悩には勝てなかったというちょっとユーモラスなお話です。それにしても真根の注意力をそぐ方法はたくさんあると思うのですが、なぜ女相撲なのでしょう。もしかしたら雄略天皇自身が見たかったからなのかも知れません。


(参考図書)
小学館新古典文学全集2巻「日本書紀T」
「日本書紀」 宇治谷 孟 講談社学術文庫
「古事記」 次田真幸 講談社学術文庫


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